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Osaka Shalom
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12月9日 祈りは天を開く

彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4:31)

 失われた魂が救われることに対して重荷があるなら、私たちは主がその人々を救ってくださるように祈りたいという熱い思いも受け取っています。私たちが一致して神の御手が動かされるために切に祈る時、天が開いて神の力が雨のように降って来て、私たちを満たす経験をしていきます。
 弟子たちが、神がしるしや不思議な御わざを行なってくださり、キリストの御力を示してくださるように祈った時、彼らが集まっていたその場所が震い動きました。神が降りて来られ、その所を揺り動かされたのです。そして彼らに御霊が注がれ、皆が御霊に満たされました。彼らは再び神の力に満たされたのです。彼らはすでに異言を伴う御霊の満たしを経験していました。彼らはすでに聖霊のバプテスマを受けていました。しかし、もう一度御霊に満たされるという経験をしたのです。
 私たちを通して流れ出る力と愛に満ちた神のいのちを失っているなら、私たちにリバイバルが必要であることをここで再確認したいと思います。神の油注ぎを失うと、私たちは主の喜びを失います。私たちが初めの愛から離れてしまっているなら、もう一度御霊に満たされる必要があるのです。
 今までそうであったように今も祈りこそが、神が私たちを御霊で満たすために用いられる方法です。祈りは、神の祝福が私たちの人生に届くために扉を開ける鍵なのです。祈らないと天が閉じられ、私たちは神の力を受け取れなくなります。
 リバイバルのための祈りは、いつも失われた魂に思いを向けます。それは本質的に使徒的なのです。リバイバルのための祈りとは、私たちが自分の肉の力ではできなかったことを神がしてくださるように祈ることです。リバイバルのための祈りとは、重荷を負う祈りです。私たちが失われた魂が救われることに重荷を感じていないのなら、私たちの心にはもうキリストの愛がないということです。私たちは神の御もとへ行き、私たちの家族や町、そして国の中で神が御わざを行なってくださるように祈り求める必要があります。私たちが大胆に神の御ことばを宣言できるように、神は私たちに御霊を注ぎたいと願っておられます。
 リバイバルを求めて祈ると、私たちに御ことばを宣言する大胆さが与えられます。御霊に満たされると、私たちはイエス・キリストの証人になります。私たちがイエスの愛と力を大胆に証しする道具になることが、御霊に満たされることの目的なのです。あなたは、失われた魂に届くために用いられたいと切に願っていますか? 証人となる準備はできていますか? もしそうでないなら、今、「私を用いてください」と主に祈ってください!

宣言:主よ、私を通して失われた魂を救ってください。しるしや不思議なわざを行なってください。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U歴代9章、ユダ1章
              夜・・・ゼパニヤ1章、ルカ23章
- 2006-12-07
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