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Osaka Shalom
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12月1日 リバイバルは神の御こころです

あなたは、私たちを再び生かされないのですか。あなたの民があなたによって喜ぶために。(詩篇85:6)

 私たちは、リバイバルのために祈り、それは確かに来ると宣言してきました。私たちは神が御手を動かされ、失われた魂を救ってくださるように祈りに祈ってきました。どのようにして人々を救いに導き、教会に迎え入れるかについて学ぶ集会も多く持ってきました。聖書は、神が御霊を送り、私たちを再び生かしてくださると約束しています。教会が人々と神が出会う場所となるように、神は教会を再び生かしたいと願っておられるのです!
 多くの人が、リバイバルのために祈るとは未信者のために祈ることだと思っています。リバイバルとは、「かつて生きていた人が再び生きる」という意味です。つまり、その人は一度死んでしまっているということです。いのちがその人に戻る時に、その人は再び生かされるのです。
 私たちクリスチャンは再び生かされる必要があります。永遠のいのちを与えられている私たちが霊的に死につつあるからです。教会は主に仕える喜びを失っています。私たちは神の臨在へ入る喜びを失っています。神の臨在そのものを失っているので、奇蹟やしるしを伴って失われた魂を救いへと導く力も失っています。
 教会とは、本来、誰にでもはっきりとわかるほど明白に神の臨在がとどまる場所でした。人々がそこへ来れば神を経験できる所だったのです。しかし、私たちが本物を得ることができていないので、私たちはただ会衆を喜ばせるために礼拝しています。実際私たちは、イエスがもはや教会を訪れることがない現状に満足しているのです。私たちは自分たちでプログラムを定め、求道者に心配りをした礼拝を行なっています。
 教会には何か欠けているものがあるのではないでしょうか? もしかしたら、私たちは教会の頭なる方を失っているのではないでしょうか? ラオデキヤの教会のように、私たちはイエスを教会から締め出してはいないでしょうか(黙示3:20)? もしかしたら、イエスは外に立って御自分の家の戸を叩いておられ、御自分の栄光と力が入って行けるように戸を開けなさいと私たちに声をかけておられるのではないでしょうか?
 救われた人々が罪を犯していても変わらずに居心地の良さを感じているなら、また、失われた魂を惹きつけるために多くのプログラムをこなすことに終始しているなら、私たちにはリバイバルが必要です。クリスチャンたちが地獄へ向かっている失われた魂に何の関心も払っていないのなら、リバイバルが必要です! 心から湧き上がっている賛美もなく、神がしてくださっていることを証しすることも全くないなら、リバイバルが必要です! クリスチャンである私たちに喜びも愛もないなら、リバイバルが必要です! クリスチャンたちがこの地上でのイエスの働きのために経済を捧げることをしていないなら、リバイバルが必要です! 今こそ、神に来ていただいて私たちを回復し、再び生かしていただく時なのです! あなたは、回復していただいて、あなたの人生に、あなたの家庭に、あなたの住む町に、そしてあなたの国に神の臨在をもたらす準備ができていますか? イエスはリバイバルをもたらされる方です! イエスは救い主です!

宣言:父なる神様、私たちを再び生かしてください。私たちを回復してください。私たちのうちにあなたの臨在を再びもたらしてください!

今日の聖書通読箇所:朝・・・T歴代29章、Uペテロ3章
              夜・・・ミカ6章、ルカ15章
- 2006-11-30
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