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Osaka Shalom
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8月25日 かまを入れよ!

また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」(マルコ4:26〜29)

 刈り入れは自動的には起こらないと知っていましたか?たとえあなたが信仰によって良い種を良い地に植えたとしても、収穫の時が来たら、あなた自身の手で刈り入れをしなければならないのです。
 イエスが教えられたこの譬え話では、種を蒔いたのは人であって神ではありませんでした。人が種を蒔いた後、種は芽を出し成長しました。種が育つには時間が必要でした。種は適量の雨と太陽光を浴びる必要がありました。これは、私たちが什一献金を神にお返しすることの必要性を表わしています。私たちが什一献金を捧げると、神はその種が成長して豊かに実が熟するために最適な気候を備えてくださるのです。
 この成長期を過ごした後、ようやく収穫の時を迎えます。収穫の時がいつ来るのかは、どうすればわかるのでしょうか?私たちのうちにいる聖霊が教えてくださるのです。Tヨハネ2:20には、「あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。」と書かれています。私たちのうちにある油注ぎが収穫の時の到来を教えてくれるのです。その油注ぎが私たちのうちに収穫の喜びを解き放ってくれます。あなたの霊が収穫を期待して喜び始めたら、かまを入れる時が来たということなのです。
 イエスの譬え話では、種を蒔いたのが人であったように、刈り入れもまた人の手によって行なわれました。つまり、私たちがその収穫の働きに取りかからなければならないということです!箴言10:5には、「夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。」と書かれています。
 私たちには霊的なかまがあります。それは何でしょうか?私たちの信仰と従順です。種を蒔いたのは私たちですから、私たちはその収穫に対して所有権を主張するべきです。私たちは、「イエスの御名によって、私は自分の収穫を受け取ると信じます。主よ、今、あなたの仕える霊を送ってくださり、私のお金(または、あなたが種に名前を付けたもの)が私のところに来るようにしてください!」と祈る必要があります(ヘブル1:14)。
 私たちはすでに受けたと信じるまでは、本当に信じてはいないのです(マルコ11:24)。マルコ11:24の「受けた」ということばの文字通りの意味は、‘つかみ取る’です。私たちは信仰によって自分の収穫をつかみ取らなければならないのです!私たちは収穫を感謝して、神を賛美し始めなければなりません。信仰の戦いを立派に戦い抜きましょう!

宣言:イエスの御名によって、私は自分の収穫を受け取ると信じます。主よ、あなたの仕える霊を送ってくださり、私の収穫をもたらしてください!イエス様、感謝します!

今日の聖書通読箇所:朝・・・Tサムエル17章、ローマ15章
              夜・・・哀歌2章、詩篇33篇
- 2006-08-24
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