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8月19日 聖徒の必要を満たす奉仕

なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。(Uコリント9:12)

 聖徒の必要は、聖徒の奉仕のわざによって満たされていきます。私たちは受けることばかりでなく、人々に与える機会を求めていかなければなりません。私たちが他の人々に与え始めたら、教会に神への感謝が満ち溢れるようになっていきます。
 ルカ6:38でイエスは、「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」と語っておられます。
 イエスは私たちが与え始めることを願っておられます。それによって、私たちのところに祝福が戻ってくるようになるからです。時おり、私たちは何故自分の必要が満たされないのかといぶかしく思うことがありますが、そのような時こそ、自分がどれほど人に与えているかを顧みる必要があるのです。私たちは与える者でしょうか?それとも、一度だけ種を蒔く者でしょうか?
 自分に返ってくる量を決めるのは私たち自身です。私たちが量るはかりで、私たちも量り返されるのです。もし私たちが経済の収穫の増加を待ち望んでいるのならば、与える量を増やし続けていく必要があります。Uコリント9:6で、パウロがこれと同じ原則を教えています。そこには、「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」と書かれています。私たちの与える量が増加すれば、収穫も増加するのです。
 もし私たちが毎回1ドルを捧げ続けるなら、戻ってくるのは1ドルでしょう。私たちは、与える量を増やしていけるように、神に助けていただく必要があります。たとえ1ドルから始めなければならないとしても、経済の収穫の増加を期待するのなら、戻ってきた収穫を食べてしまってはいけません。神がくださる経済の種を蒔き続けていく必要があるのです。
 神は私たちの蒔く種を増やしたいと願っておられます。それによって、収穫が増加していくからです。経済の祝福は一夜で起きる奇蹟ではありません。種を蒔くことなしに、あれこれと経済の奇蹟が起こることを期待すべきではないのです。私たちは奉仕のわざが満ち溢れる所にとどまるべきです。そこで私たちは、どのように使ったらいいのかわからないほど多くの収穫を得ていくのです。与える量を増し加えることによって、豊かに受け取れるようになりましょう。与える量を増し加える者には、神の祝福が増し加えられていくのです。

宣言:私の蒔く種の量が増えるに従って、私の収穫も増えていきます。私は自分の収穫を食べないで、続けて蒔いていきます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Tサムエル11章、ローマ9章
              夜・・・エレミヤ48章、詩篇25篇

- 2006-08-18
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