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8月13日 アブラハムのように信仰の行ないをしよう!

そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。(ガラテヤ3:9)

 アブラハムは、信仰の行ないとして、メルキゼデクに十分の一を捧げました。彼はそれを律法の下で行なったのではありません。アブラハムは、信仰の行ないとして、自分の持てるものの十分の一を捧げたのです。今はイエスが、とこしえにメルキゼデクの位に等しい祭司になっておられます(ヘブル5:6)。私たちは、すばらしい大祭司に十分の一を捧げるのです。
 神との関係においては信仰だけで充分だと言う人がいます。信仰があるなら、什一献金や他の献金を捧げる必要はないと言うのです。別に要求されているわけでもないからと言って、教会へ行かない人さえいます。しかし、これらの人々の信じるところとは正反対のことを、聖書は教えているのです。
 ヤコブ2:17には、「それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」と書かれています。同じ章の24節には、「人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。」と書かれています。信仰はいつも行ないを伴います。アブラハムは、十分の一をメルキゼデクに捧げることによって、信仰と従順を表わしたのです。前回学んだように、神の約束にはいつも、私たちが果たすべき条件がついています。もし私たちが従うなら、神は私たちを信頼し、祝福してくださるのです。
 アブラハムとメルキゼデクの話は創世記14章にあります。18節で、メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来ています。そして、「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」と言って、アブラハムを祝福しています。神は、アブラハムの手に敵を渡されることによって、彼を祝福されました。それに対して、アブラハムは何をしましたか?すべての物の十分の一をメルキゼデクに与えたのです。アブラハムは、ほんの少しだけではなく、すべての物の十分の一を捧げました。
 アブラハムはソドムの王に、「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。」と語っています(22−23節)。アブラハムは、神こそが自分にすべてを与えてくださる方、自分を富ませてくださる方であり、それにより栄光を受けるべき方は神だけであると信じていたのです。
 私は15章1節に記されていることが好きです。そこには、「これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。『アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。』」と書かれています。
 十分の一を捧げたことで、アブラハムとサラに対する神の召命が動き出しました。子どもができなかった夫婦に子どもが与えられると約束されたのです。什一献金や他の献金を捧げることによって、私たちの人生に神の祝福がますます来るようになります。什一献金によって、私たちの人生に対する預言的な啓示が活性化されていきます。

宣言:主は私を、霊においても、魂やからだにおいても、経済においても、富める者にしてくださいます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Tサムエル3章、ローマ3章
              夜・・・エレミヤ41章、詩篇17篇
- 2006-08-10
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