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Osaka Shalom
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8月12日 福音を宣べ伝える者は福音の働きから生活の支えを得る

あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。(Tコリント10:13−14)

 パウロは、旧約時代の祭司を例に挙げて、霊的指導者は神の宮に捧げられたものから収入を得る必要があると説明しています。前回学んだように、十分の一の捧げものはレビ人のために用いられていました。彼らが会衆を導くためにフルタイムで奉仕していたからです。彼らは働くことが許されていませんでしたから、自分の毎日の生活のために十分の一の捧げものを受け取るように命じられていました。彼らはそれを用いて、貧しい人々を助けたり、やもめやみなしごを助けたりして、人々の必要を満たすこともできたのです。
 9章でパウロは、コリントの人々に対する怒りをあらわにしています。彼らがバルナバやパウロに何も捧げていなかったからです!彼らは、2人から受け取ることはあっても、物質的なものを何も返していなかったのです。11節でパウロは、「もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。」と語っています。
 パウロは、他の人々が自分のミニストリーを祝福してくれているので、自分の権利を行使するつもりはないと言っています。わかりますか?パウロは、自分には権利があると言っているのです。12節で彼は、「もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。」と語っています。
 パウロとバルナバには物質的な祝福を受け取る権利がありました。しかし、彼らは、教会内でこれ以上問題を生じさせたくなかったので、何も受け取らないことにしたのです。霊的なものを蒔いた者は物質的なものを受け取ることができます。それが神の原則なのです。
 Tテモテ5:17〜18には、「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」また、「働き手が報酬を受けることは当然である。」と言われているからです。」と書かれています。什一献金や他の献金は教会の働きのために用いられることになっていました。教会の主要な働きが御ことばの宣教だったからです。御ことばの宣教や教えを仕事としている教会指導者たちは、二重に尊敬を受けるべきものとされていました。彼らがその働きの報酬を受け取るのは当然のことだったのです!牧師が謙遜であり続けることができるように、自分たちの牧師に充分な報酬を渡していない教会が多くありますが、神はその考え方を良く思っておられないに違いありません。神は、あなたの教会の指導者が祝福されることによって、あなたも祝福されることを願っておられます。

宣言:私は、什一献金や他の献金を捧げることで、自分の教会の働きをサポートします。御ことばを説教し、教える人は、二重の尊敬を受けるにふさわしいです。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Tサムエル2章、ローマ2章
              夜・・・エレミヤ40章、詩篇15−16篇
- 2006-08-10
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