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Osaka Shalom
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4月17日 祈りにおいて動機は重要です

願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。(ヤコブ4:3)

 私たちはなぜ祈るのでしょうか?なぜ神に何かをしてくださいと願うのでしょうか?その動機は何でしょうか?この聖句では、願っても受けられないのは悪い動機で願うからだと教えられています。私たちが不適当な願いをしているというのです。つまり、私たちの祈りが間違っているか、不適切であるということです。私たちの隠された思いを御存知である神に祈る前に、私たちは自分の心をチェックする必要があるのです。
 私たちの祈りの動機はどうあるべきなのでしょうか?すべて神の栄光のため、御国の拡大のためであるべきなのです。1コリント10:31では、「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」と教えられています。神はすべての栄光をお受けになることを望んでおられます。私たちが栄光や称賛を取ってしまってはいけないのです。自分の夫が救われることで、自分がより良い人生が送れるようにと祈る人もいますが、それは何よりもまず自分のために祈っていることになります。夫が救われたら、神はどのように栄光をお受けになるだろうかとは考えていないのです。その女性の人生は良くなるでしょうか?当然良くなるでしょう。でも、それが祈りの動機であってはならないのです。なぜ私たちはリバイバルを求めるのですか?自分の教会の評判がよくなるためですか?教会にさらに多くのお金が入ってくるためですか?なぜ私たちは神に経済的な繁栄を願い求めるのでしょうか?私たちがより良い人生を気楽に送れるようになるためですか?もし私たちがすべての栄光を神に帰すために祈るのであれば、神はそのようなものを与えてくださるでしょう。すべての祈りは、神に栄光のために捧げられるべきなのです。あなたは何のために祈っていますか?

宣言:父なる神様、私の祈りにお答えになることによって、あなたがすべての栄光をお受けください。私は、決してあなたの栄光を欲しがったりしません!

今日の聖書通読箇所:レビ21章、詩篇26-27篇
              伝道者4章、1テモテ6章
- 2006-04-15
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