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CK160 ヨシュア記、士師記、ルツ記、第一&第二サムエル記




商品番号 law-cd-K160
商品名 CK160 ヨシュア記、士師記、ルツ記、第一&第二サムエル記
定価 20,000円
販売価格 20,000円
著者 ローレンス・ゲヤス
配送タイプ 都道府県別
在庫

数量:

ヨシュア記

   ヨシュア記は、約束の地へ向かうイスラエルの民の旅路の終着点を記録しています。ここに私たちは、神がヤコブの子孫たちにカナンの地を与えるという、ご自身の約束を成就されるのを見ます。ヨシュアは主を、彼らの将として、彼らが信頼し従うなら、ご自分の民を勝利ある戦いへと導くお方として描いています。

   ヨシュアは矛盾にはらむ物語を、順を追って紹介しています。一方では、神はご自分が約束された地を民に与えましたが、しかし他方では、民は異邦の民を一部残すことを許すことによって約束の地を完全に占領することに失敗しました。神はご自分の側の責任を果たされましたが、イスラエルの民はその仕事を完成させませんでした。カナン人たちは年月が経つにつれ、イスラエルの民に対し害を及ぼす、大きな損害を与える民となっていきました。この書では、神に忠実であった人々の記述も見ることができます。

 
士師記

   さばきつかさの時代は、イスラエルに大背教をもたらしました。イスラエルの民は、彼らがまだ完全に征服してはいなかったそれらの一部の地を占領しようとするにしたがい、政治的、また宗教的な混乱と混迷を経験しました。十二部族は互いの間でも戦い合い、マナセ(士師記12章)とベニヤミン(士師記20章、21章)の二部族を、あやうく跡形もなく消し去るところでした。士師記の書においての行動様式ははっきりしています。民は偶像礼拝と不信仰によって反抗し、神は異教の民の抑圧を通して裁きをもたらし、神は「救助者」、すなわちさばきつかさを建て上げ、そして民は悔い改めて神に立ち返りました。民がまた罪に陥った時、このサイクルはもう一度繰り返されました。

   皮肉にもこの書では、私たちは多くの信仰の勇士たち、時には劇的な形でイスラエル人を解放するようにとの神の召しに応答した欠点や弱さのある人物たち、オテニエル、ギデオン、サムソン、シャムガル、デボラ、エフタ、エフド等に出会います。この書は聖書全体を通しても、最も生々しく、暴力的で、心をかき乱す、あるものは義の名において、あるものは悪の名のもとに成された、場面の多くを含んでいます。

ルツ記

   この書はナオミの視点から書き記されました。すべての出来事は、ナオミ自身に帰着しました。ナオミの夫と息子たちの死、ナオミの義理の娘たち、ナオミのベツレヘムへの帰還、ナオミの神、ナオミの親類ボアズ、ナオミが売却する土地、そしてナオミの子孫。聖書においてほとんど、くらぶるものもないくらい、この物語は女性の視点を通して「神」を見ています。

   ナオミは、「女性版ヨブ」と称されています。ナオミはすべてを、家、夫や息子たち、そしてヨブが経験した以上に、その生計すらも失いました。ナオミは貧しい人々ややもめといった面々の、イスラエルの最も低い階層の仲間入りをしたのです。ナオミは悲しみのうちに叫び求め、神が彼女の道筋に置いてくださった「贈り物」、ルツを見損じてしまったのでした。

   ルツ自身は、忠実な愛を体現していました。ルツの心ゆさぶる忠誠の誓い(ルツ1:16〜17)は、その性質において明らかに夫婦関係に関するものではないにもかかわらず、結婚しようとするカップルが切望する、献身の奥深さを伝えるために、今日の結婚式でもしばしば引用されています。この書は、神の恵みの底知れぬ深さ、素晴しさを明らかにしています。神はルツを、ご自身の選ばれし民の一員として受け入れ、またご自身が任命された王ダビデと、のちにご自分の子イエスが生まれてくる血筋を存続させる役割を担わせることによって、ルツを尊んだのでした(マタイ1:1, 5)。

第一サムエル記

   イスラエルの歴史の中できわめて重要なこの時期に、神の民は、ゆるやかな提携関係にある諸部族の連合から、王が君主として治める統治形態のもとでの統一国家へと変貌していきました。イスラエルの民は、さばきつかさたちの下での暮らしの混乱と混迷を、強力な中央集権的君主制がもたらす安定に取り替えたのでした。

   第一サムエル記は、その君主制の確立に焦点を当てていきます。民は周辺の国々の王たちと似た、王を要求しました(第1サムエル8:5)。最初の王、サウルは「民のだれよりも、肩から上だけ高かった」にもかかわらず、正しい心を持ってはおらず、サウル王の系統は決して王位を継承するなどということはありませんでした(第1サムエル9:1〜15:35)。神は次の王として、ベツレヘムのエッサイの末子、ダビデを油注ぐようにサムエルに指示されました(第1サムエル16:1〜13)。

   第一サムエル記の大部分は、若い演奏者、羊飼い、また勇士としてのダビデの冒険の過程をたどっていきます。私たちはダビデのゴリヤテに対する、一見勝ち目のないようなところからの勝利(第1サムエル17:1〜58)、ヨナタンとのダビデの深い友情(第1サムエル18:1〜4)、そしてダビデの軍事能力のいっそうの成長(第1サムエル18:5〜30)を目撃していきます。ダビデはしばしばサウルに追われ、また隠れるよう強いられながらも、王位に即く日を忍耐強く待ちました。第一サムエル記は、第一サムエル記と第二サムエル記との間をわかつ、物理的な境界線として作用するサムエルの死をもって幕を閉じます(第1サムエル31:1〜13)。

 
第二サムエル記

   第一サムエル記はイスラエルの君主制を紹介し、そして第二サムエル記はダビデの王朝の確立、また神の選ばれたリーダーのもとでのイスラエルの領土拡張を記録しています。この書は、ダビデがサウルの死を知るようになった場面で幕開けします。サウルと、誰も思いも寄らなかったであろう、ダビデの最良の友であったヨナタンの死(第2サムエル1:19〜27)に対するダビデの悼みは、二人の逝去に対するダビデの個人的な悲しみを明らかに示しました。主はただちにダビデをユダ族の上にお立てになり(第2サムエル2:4)、そうしてのちご自身が油注いだ王として全イスラエルの上にお立てになって(第2サムエル5:3)、十二部族すべてを堅く結合した国家へと結束させました。

   第二サムエル記の最初の10章はダビデを、戦いにおいては勝利を収め、民に称賛され、病人や貧しい人々に慈愛を示す、神の御目に正しい者として描いています。私たちは、ダビデの家来たちがエルサレムに契約の箱を運び上った時、ダビデがエルサレムの通りで主の御前で踊っている姿を見ます(第2サムエル6:12〜16)。私たちはまた、「その父ヨナタンのために」ダビデが恵みを施した、ヨナタンの足の不自由な息子のメフィボシェテにも出会います(第2サムエル9:7)。

   しかしながら、聖書の記述者たちは、そのヒーローたちの欠点も見過ごしはしませんでした。のちの章ではダビデのバテ・シェバとの姦淫により(第2サムエル11:1〜27)、一連の悲劇、すなわち二人の間の子供の死(第2サムエル12:18)、ダビデの息子アムノンによる、娘タマルへの乱暴(第2サムエル13:1〜39)、アムノンの殺害(第2サムエル13:28〜30)、自身の子アブシャロムによるダビデ自身の政治的敗北・王位の転覆(第2サムエル15:1?37)と、アブシャロムのその後の死(第2サムエル18:1〜33)等が続いたことにも、私たちは心に留めます。

   ダビデの波瀾万丈の苦難の晩年にもかかわらず、ダビデは主の赦しと好意を受けました。自らの罪に対するダビデの真実な(心からの)悲しみと後悔は、主が喜ばれた、彼の悔いた心を現わしました。